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第1日目 平成18年6月16日(金)
 
セッション1.「極限超短パルス光のフロンティア」
ディスカッションリーダー:桂川 眞幸(電通大)
 光科学のフロンティアは、常にレーザーの極限的性能の進歩と、それに誘発されておこるブレークスルーによって切り開かれてきた。2001年に高次高調波がアト秒パルス(1 アト秒=10-18 s)を形成することが確認されると、それが突破口になり、電子励起状態波束の実時間計測や制御、真空紫外域での超高速非線形現象が次々に実現されたことは記憶に新しい。この前々年には、フェムト秒チタンサファイアレーザーのキャリアエンベロープオフセット制御の技術が確立し、新しい光周波数標準技術が生まれている。現在では、これら二つの研究は互いに絡み合い、さらなるフロンティアへ発展を続けている。光周波数標準技術は高調波発生技術と融合し、周波数標準の真空紫外域への拡張が精力的に進められ、一方、アト秒パルス生成にはキャリアエンベロープオフセット、キャリアエンベロープフェーズ制御の技術が導入され、単一アト秒パルスの生成やさらに高度な物質制御が模索されている。

 本セッションでは、この分野で精力的に研究を進められているお二人の研究者をお招きする。理化学研究所の緑川克美氏には、高次高調波発生の基礎からアト秒パルスの形成、さらに真空紫外非線形光学への応用について、産業技術総合研究所の小林洋平氏には、可視〜近赤外域におけるアト秒精度の光電場合成技術とその応用について御紹介いただく。 セッション後半の自由討論では、様々な分野の方々を交えて、たとえば両氏の技術を組み合わせたらどんな可能性がありえるかなど、今後、期待される光科学の展開をオープンに
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講演1: 極端紫外から軟X線領域での強光子場と原子・分子の相互作用
  緑川 克美(理研)
 1960年にレーザーが発明されて以来、Q-スイッチ、モードロックそしてチャープパルス増幅というように革新的技術が生まれる度にレーザーパワーは格段に増大し、レーザーと物質の相互作用に基づく新しい物理とその応用の地平が切り拓かれてきた。そのなかでも、レーザー発明直後の1961年に2光子吸収と第二高調波の観測に端を発して開始された非線形光学は、当時、レーザーそのものの進展と相まって新しい光科学の領域として急速に立ち上がり、その後のレーザーの基礎科学と応用分野における発展の重要な基盤となってきた。しかし、近赤外から可視、紫外領域を一歩はずれると非線形光学現象を観測することは極端に困難になる。特に、真空紫外から軟X線領域(ここではXUV領域と呼ぶ)において、非線形光学効果の断面積が波長の累乗に比例して小さくなる上に、1光子過程の断面積が非常に大きいことがその計測を非常に難しいものにしている。XUV領域の非線形光学現象はそれ自体が興味深い研究対象であるだけでなく、軟X線パルスの時間波形の計測において自己相関信号を検出するために必要不可欠であり、それにより時間領域計測の大きな進展も期待できる。本講演では、理研で開発された高強度の高次高調波を用いて観測されたXUV領域での多光子過程とそれによって解明される原子・分子のダイナミクスについて紹介する。
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講演2: コヒーレント光電場合成
  小林 洋平(産総研)
 超短パルスレーザーは物質と光の相互作用を調べる重要な道具となっている。現在までにモード同期レーザー発振器からは5fs台のパルスが得られている。また、増幅光の帯域を自己位相変調等により広げて分散補償する方法により〜3fsのパルス発生が可能となっている。より短波長では高次高調波を用いることによりアト秒パルス発生が近年実現しているが、可視〜近赤外領域ではパルス幅はキャリア電場の1サイクルに近い値にまできており限界に近づきつつある。この限界を破る方法として光電場のフーリエ合成が挙げられる。上記可視〜近赤外での超短パルス発生はチタンサファイアレーザーを用いるものが多いが、発振器から出力されるパルス幅はそのゲイン帯域で制限される。そこで、二つ以上の異なるレーザー媒質を持つモード同期発振器から出力されるパルスをコヒーレントに合成すればこの制限を打ち破ることができるというものである。例えばチタンサファイアレーザー(中心波長 〜 800 nm)とクロムフォルステライトレーザー(中心波長 〜 1200 nm)のパルスを合成することができれば超広帯域なスペクトルを持つことができる。また、これらの和周波、第二高調波をもつなげると可視〜近赤外のスペクトルをカバーするパルスを発生させることができるであろう。また、離散的なスペクトルでも多数用意して合成することも大きな意味を持つ。モード同期レーザーは繰り返し周波数ごとの縦モードが多数あり、これらが位相同期することにより短パルスを発生する。この縦モードに相当するスペクトルを複数の異なるレーザー発振器からつくり、これらを合成するとアト秒パルス列が発生することになる。また、これら複数のパルスを所望の光電場位相関係で合成することにより任意の光電場波形が生成できることになる。これは光のファンクションジェネレータに相当する。

 我々は光のファンクションジェネレータを実現するために複数の色のフェムト秒パルスを発生させ、これらの位相関係を同期する実験を行っている。複数のパルスは2波長レーザー(チタンサファイアレーザーとクロムフォルステライトレーザー)とフェムト秒光パラメトリック発振器で発生させている。2波長レーザーは800 nmと1200 nmのフェムト秒パルスを発生させそのタイミングジッターは100アト秒の精度に制御している。また、これらの光位相関係は0.43radの精度で10時間制御できている。また、OPOではポンプ、シグナル、アイドラーの光周波数比を3:2:1とし、光位相関係を0.24radの精度で60時間保つことができている。これらの高精度光位相制御技術、合成電場をどのように実現(計測)するか、またどのような応用があるかについて講演する予定である。
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セッション2. BEC最前線
ディスカッションリーダー:上田 正仁(東工大)
 原子気体のBECの研究は、その最初の実現から10年余りが経過したが、依然として新しい実験的ブレークスルーによりわれわれを驚かせ続けている。その理由は、レーザー冷却の原理が、原子一般に対して成立する普遍的な原理であるために、さまざまな原子種を、その量子統計性によらず量子縮退領域にまで冷却できる可能性を秘めているためであると思われる。昨年は、クロム52のBECが実現されたが、この原子は電子スピンが3という大きな値を持つためにダイポール相互作用がアルカリ原子の36倍も強く、これにより新たな異方的な超流動が実現された。レーザー冷却原子系のもうひとつの特徴は、原子間相互作用が変調できることである。アルカリ原子の場合は、超微細構造を利用したいわゆるフェッシュバッハ効果が使えるが、シェイプレゾナンスを用いることにより超微細構造を持たない原子種に対しても原子間相互作用が制御できる可能性がある。これらは光格子の技術とあいまって、固体物理の未解決なあるいは未踏の領域に大きなブレークスルーをもたらす基盤技術となるものと期待される。

 本セッションでは、BEC研究の最近の大きな研究の流れを代表する2つの研究に関して、わが国における第一人者であるお二人に講演からなる。大橋氏の講演は極低温フェルミ気体超流動に対して実現されたBCS-BECクロスオーバーの実験的および理論的現状についてである。これは、一昨年にカリウム40、続いて、リチウム6を用いて実現されたフェルミ超流動に関する研究である。フェッシュバッハ効果により相互作用の強さを引力から斥力に連続的に変調することによりバーディーン・クーパー・シュリーファータイプの超流動から、フェルミオン2個が分子を作りそれがボース凝縮する分子のBECへと連続的に移り変わる現象である。実験で実現されたものはS波であるが、本研究で得られた知見はD波である高温超伝導の研究にも洞察を与えるものと期待されている。

 中川氏の講演は、冷却原子を半導体チップによりトラップするいわゆるアトムチップの研究の現状についてである。アトムチップの技術を用いることにより、急峻なポテンシャルを作ることができ、原子集団の局所的なコントロールと集積化への道が開かれた。他方、冷却原子が持つ磁場揺らぎなどに対する極限的な感度は、アトムチップを用いた極限計測への応用の可能性と同時にそのための技術的課題を提供している。これら2つの研究領域は今後も大きな発展の可能性を秘めており、講演およびその後の活発な討論を通じて現状の把握と将来展望を行う。
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講演1: アトムチップによるボーズ凝縮原子の操作とその応用
  中川 賢一(電通大)
 レーザー冷却やボーズ凝縮によって得られる極低温原子をレーザー光のようにコヒーレントな物質波として操作する原子光学の研究が近年めざましく進展している。その中でも基板上に作成した微細電極パターンを用いてマイクロ磁場トラップや原子導波路を実現するいわゆるアトムチップの研究が急速に進んでいる。これは従来の自由空間で行われていた凝縮原子の生成および操作、干渉計、検出器などを全て基板上に集積化して従来にない多彩な物質波の操作およびその応用をめざすものである。とくに量子コンピューターに代表される量子情報処理への応用においては原子一個レベルの量子状態の操作および観測が必要となるがこれにはアトムチップの技術が有望であると考えられる。これは従来の半導体や超伝導など電子を基にした様々なデバイスを中性原子を用いて実現しようというものである。電子の代わりに中性原子を用いる利点の1つに周囲環境が原子に与える影響が半導体デバイスに比べて小さいことが挙げられ、これは量子コンピューターなどの応用においては重要となる。しかし最近の研究においては原子においても基板近傍の金属の熱雑音の影響をある程度受けることが分かり、まだ解決すべき技術的課題がいくつかある。

 本講演においてはこのようなアトムチップを用いた凝縮原子の生成および操作に関する様々な試みを我々の研究を含めて紹介する予定である。このアトムチップの重要な応用の1つに原子干渉計が挙げられるが、チップ上の凝縮原子を用いた原子干渉計においては原子間相互作用の干渉信号に与える影響が大きいことが我々の最近の研究によって分かってきた。一方、原子間相互作用を用いることにより原子のスクィーズド状態やモット絶縁体が実現できること分かっており、これらをチップ上で実現しようという様々な試みがある。また最近ではボーズ凝縮だけでなくフェルミ縮退がアトムチップ上で実現されその応用範囲は急速に広がっている。このようなアトムチップの研究における最近の動向も併せて紹介する予定である。
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講演2: フェルミ原子ガスで実現する新しい超流動:BCS-BECクロスオーバーの物理
  大橋 洋士(慶応大)
 この講演では近年、急速に発展しつつある極低温フェルミ原子ガス超流動について、特に注目されているBCS-BECクロスオーバー現象を中心に、研究の現状、今後の展望について述べる。

 フェルミ原子ガスの超流動化はカリウム40、リチウム6を用いて2004年に達成された。フェルミ粒子系超流動ではクーパー対を形成するための引力相互作用が重要であるが、フェルミ原子ガスの場合、フェッシュバッハ共鳴がその役を担っている。この機構は引力相互作用を自在に制御できるという極めてユニークな特徴を有しており、これにより幅広い相互作用領域での超流動物性を研究することが可能となった。従来のフェルミ粒子系超流動である金属超伝導や液体ヘリウム3の超流動のように相互作用がさほど強くない弱結合領域では、クーパー対「分子」のサイズは平均粒子間距離よりもはるかに大きく(通常の金属超伝導ではクーパー対の大きさは平均電子間距離の千倍程度である。)、分子同士は非常に重なり合っている。このような状況での超流動状態はBCS理論により良く記述されることが知られている。これに対し、引力相互作用が非常に強い場合、強く結合した分子のサイズは粒子間距離よりも小さくなり、超流動の性質は個々の分子を(内部構造を無視して)ボーズ粒子とみなした場合のBECに近いものとなる。 このBCS状態、BEC状態を、相互作用を制御することで連続的につなぐ現象がBCS-BECクロスオーバーである。この画期的な現象がフェルミ原子ガスで観測されたことで、フェルミ粒子系超流動の全貌の解明が可能となり、更に、フェルミ粒子系超流動とボーズ粒子系超流動を統一的に捉えることができるようになった。 超流動転移温度やボルテックス(量子渦)、励起スペクトルの構造など多くの点で性質が異なるこの2つの超流動状態がどのようにクロスオーバーするか、また、両者の中間領域での超流動はどのような性質を示すのか、という問題は非常に興味深く、現在、理論、実験両面から精力的に研究が行われている。講演ではそうした研究の成果を紹介、原子気体を用いた新しい超流動研究分野の熱気を伝えるようにしたい。
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セッション3.「量子情報技術の現状と展望」
ディスカッションリーダー:古澤 明(東大)
 次世代の情報通信・情報処理技術として、量子情報通信・量子情報処理が研究されている。これらが、従来の情報通信・情報処理技術と最も異なる点は、そのプロセス中に量子エンタングルメントが生成され、利用されることにある。ここで、量子エンタングルメントは、アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン(EPR)のパラドックスに端を発する量子力学特有の性質であるが、散逸などのいわゆるデコヒーレンスにより破壊されやすく、量子情報通信・量子情報処理を実用に近づけるためには、このデコヒーレンスに打ち勝たねばならない。

 本セッションでは、この方向への努力として2つのテーマについてご講演いただく。1つは、劣化してしまった量子エンタングルメントを如何にして上手く使うかであり、もう1つは、デコヒーレンスがあまり起こらない短距離の量子エンタングルメント伝送を繰り返して行うための必須技術である、量子状態の保存についてである。井元信之氏には量子エンタングルメント抽出の第1人者として、前半のテーマについてご講演いただき、上妻幹生氏には、最も勢いのある実験家として、後半のテーマについてご講演いただく。お二人のホットな話題提供を期待する。
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講演1: 雑音下での量子ビットの高忠実度伝送
  井元 信之(阪大)
 量子暗号をはじめとし今後一般の多者間量子通信を研究するにあたって最も 重要なことは「与えられた量子状態を忠実に遠くまで送ること」である。ここ で重要なことは、与えられた量子状態が我々にとってunknownであることであ るが、その意味は「提供した人は知っているが我々は知らない状態を知らない なりに送る」というだけでなく、「第三の系とエンタングルしているかもしれ ない状態を、それを保ったまま送る」ことができなければならない。

 この当たり前のことを実行するには、しかし、現実の壁がある。たとえば光 ファイバーを使ったとき、伝送損失と位相雑音が避けられない。伝送損失の方 は量子テレポーテーションで「量子チャンネルが通じたときを見計らって当の 量子状態を入力する」ことで解決するとしても、位相雑音(ひいては偏光のゆ らぎ)を抑えることは困難である。これは揺らぎを検出して補正するactive補 償でも実際にはできない。

 送りたい量子状態が「ベル状態の片割れ」と決まっている場合も、多くの応 用の場面にあると考えられる。この場合は「エンタングルメント抽出」が可能 で、それを線形光学とフォトンカウンティングで行う方法を我々は提案 (2001年Phys.Rev.)し、引き続きその実証実験(2003年Nature)を行った。

 送りたい量子状態が全く任意の場合も、線形光学とフォトンカウンティング で実用に足る確率で行う方法を提案(2005年Phys.Rev.Lett.)した。これは上 記エンタングルメント抽出法を進化させたもので、光ファイバーの位相雑音が せいぜいkHzの周波数領域であることを利用し、それより速い時間間隔で参照 光子を挿入し、二つの光子の「量子一括測定」により雑音のみ打ち消して元の 量子情報を残す方法である。理論的には、信号光子と参照光子を近接させ同じ 雑音を受けるようにすることにより、二つの光子が張る拡大されたヒルベルト 空間の中にデコヒーレンスの影響を受けない部分空間ができるので、それへの 射影を線形光学と光子検出のみを用いて実用に足る成功確率で行うものである。

 このような方法を用いずに量子状態の高忠実度伝送を行うことは、現実には考えにくい。これにより自由な多者間量子通信への道が開けるものと期待される。
講演2: 子集団と単一光子間におけるエンタングルメントの生成
  上妻 幹旺(東工大)
 量子力学が提示するエンタングルメント状態(量子絡みあい状態)は、アインシュタインの局所原理に反する相関をもつ。この非局所性を利用することで、量子暗号、量子通信といった工学的応用が可能になることは周知の事実である。量子通信研究の大 きな目標の一つとして、「地球規模の距離だけ離れた2地点間において量子情報を自由にやりとりするシステムの構築」があげられる。通信の主役は当然光であるが、その光がエンタングルした状態をパラメトリック下方変換過程を通して比較的容易に生成 できることを考えると、上記の目的は意外に簡単に実現できそうな気がしてくる。というのも、エンタングルした光子対をファイバーを用いて離れた2地点に予め配布しておき、その後、量子テレポーテーションの手法を活用すれば、原理的には2地点間で量 子情報をやりとりすることが可能になるからである。

 しかし実際には、光ファイバーが持つ伝送損失によって、エンタングルメントを2地点に配布できる確率は、距離に対してexponentialに減衰してしまう。この問題を回避するためには、通信を行いたい二つの地点の間に多くの中継地点をもうけ、それらの間でエンタングルメントを保有し、スワッピングと呼ばれる過程を通じて、目的の2地点間にエンタングルメントを確立するという作業が必要になる。このようなプロトコルを実現するためには、中継地点間でエンタングルした粒子を保存しておく必要があり、量子メモリが必要となってくることになる。

 本発表では、原子アンサンブルと光との間のcollectiveな相互作用を利用することで上記の量子中継作業を実現する新しい手法を紹介する。またこの手法を実現する上で鍵となる、原子集団と単一の光子との間におけるエンタングルメントの生成方について解説をする。さらに、最近になって我々の研究室において実現した原子集団−単一光子間における軌道角運動量状態に関するエンタングルメントの生成について紹介をする。この手法によって、原理的には、離れた2地点間において多次元のエンタングルメントを共有することが可能となる。
 
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第2日目 平成18年6月17日(土)
 
セッション4.「次世代放射光源を利用した生命科学研究の展望」
ディスカッションリーダー:中迫 雅由(慶応大)
 近年、SPring-8に代表される第三世代放射光実験施設から供給されるX線利用によって、生命科学、特に生命活動を支える分子素子の一群である"蛋白質"の結晶構造解析分野が大きく進展した。結晶構造解析で得られる蛋白質の複雑精緻な姿から、生命科学者はそれらの動作機構を予測し、また、病変に関わる蛋白質に対する創薬開発の展開を行いつつある。しかし、生命科学者の望む究極の測定は、細胞の中で、水をも含めた分子集団がどのように協奏して生命現象が営まれているのかを知ることにあるのではなかろうか。そういった意味で、近い将来の生命科学研究では、複雑な非晶物質である細胞或いはその構成要素群の、より高解像度かつ高時間分解能測定が必要とされると予想される。

 現在、次世代放射光源としてX線自由電子レーザーが現実のものとなりつつあり、また、リング型光源としてはエネルギー回収型線形加速器の検討が開始されている。これら光源の特徴は、第三世代放射光の性質を超えた、高輝度、高コヒーレンスと短パルス性にあり、非晶物質の原子レベルでの構造解析や高い時間分解能での測定など、物質科学・生命科学における様々な利用が検討されている。この様な状況を踏まえ、本セッションでは、第三世代光源を用い、生命科学分野での挑戦的かつ先鋭的な測定を行っておられる岩本裕之氏(高輝度光科学センター)と足立伸一氏(KEK-PF)に研究の現状を講演いただき、次世代放射光源を生命科学研究にどのように活用するのかを議論したいと考えている。

 講演に先立ち、生命科学の現状と次世代光源で期待される測定について簡単な紹介を行い、講演への序論としたい。
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講演1: 生体を形づくる大規模分子集合体のX線構造解析
  岩本 裕之(JASRI)
 細胞内の蛋白分子はしばしば大規模な分子集合体を形成し、その中で集団として機能している。集合体の中では多数の蛋白分子種が複雑な相互作用を行なっており、その機能は1つの分子種を単離して性質や構造を調べても十分に理解することはできない。このような大規模分子集合体の機能を調べるためには分子の集団としての振舞いを調べる必要があり、これに対して有効な手段の1つがX線回折法である。中でも細胞運動に関係した筋肉の収縮装置と繊毛・鞭毛の軸糸は構造のインテグリティが高く、機能もダイナミックで興味深い研究対象である。何れも運動力を発生するモーター蛋白と、レールの役割をして力や運動を外部に伝える蛋白がそれぞれ規則正しく配列し、X線回折実験の好適なターゲットとなっている。

 筋肉のモーター蛋白はミオシンで、レールはアクチンである。それぞれが通常1種類のアイソフォーム(分子種)からなる比較的単純な構成で、ミオシン・アクチンともらせん状に配列した繊維となっているためX線回折像の情報量も多く、解析が比較的容易である。機能的には1次元方向に変形するリニアモーターである。筋肉は生体内の存在量が多いため、実験室のX線発生器の時代から広く回折実験の試料として用いられてきた。しかし精密な静的測定や筋収縮と同じ時間スケール(ミリ秒の時間分解能)で測定ができるようになったのはシンクロトロン放射光が利用可能になった以後のことである。さらに数マイクロメーターの径に絞った放射光(マイクロビーム)を用いることで、特に昆虫の羽ばたきに用いられる飛翔筋について、その機能に特化した高い構造的インテグリティがあることが明らかになった。

 一方、鞭毛・繊毛の軸糸ではモーター蛋白がダイニン、レールは微小管(チューブリン)である。軸糸の径はわずか200ナノメートル程度であるが、この中に1種の外腕、6種の内腕からなる7種のダイニンのアイソフォームが存在する。さらに個々のダイニン分子もミオシンより分子量も大きく、複数のヌクレオチド結合部位が存在するなど複雑である。基本的な動作原理はリニアモーターであるが、まだ十分に理解されていない時空間的な運動制御により軸糸全体としては3次元運動するアクチュエーターになる。サイズが小さいうえ、ダイニン分子は直線的に配列しているので全てのダイニン分子種に由来する反射が子午線上に重なってしまい、X線解析は困難である。軸糸のX線回折実験は緒に就いたばかりであるが、軸糸の研究は筋肉に比べて大幅に遅れており、X線回折実験に寄せられる期待は大きい。

 ここでは上記のようにますます要求が高度になっていく生体超分子集合体の構造解析に対し、次世代光源がどのように役に立つかを議論したい。
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講演2: 短パルス高輝度光による生体分子の動的構造
  足立 伸一(KEK−PF)
 生体内のタンパク質分子の働き(機能)は,必ずタンパク質の分子構造の何らかの動き(構造変化,ダイナミクス)を伴っている。それは,自分の体の中で日常的に行われている生理作用(たとえば,呼吸や消化や筋肉の収縮・弛緩といったこと)を思い浮かべれば,なんとなく合点がゆく。タンパク質の本質がそのダイナミクスにあるとすると,構造生物学におけるゴールは,タンパク質構造のダイナミクスを明らかにし,そこからその機能を総合的に理解することであるといえる。現在,多くの大規模タンパク質構造解析プロジェクトにより蓄積されつつある構造情報のほとんどはタンパク質の安定な平衡状態の構造に関するものであるが,これらの構造情報にさらにタンパク質の構造ダイナミクスに関する情報が加わることにより,我々のタンパク質構造に対する知見はより重層的なものとなり,たとえば新規医薬品の開発に対してより多角的な方針を与えることができると期待される。

 放射光の高輝度性,波長可変(白色)性,パルス性を活用することにより, X線回折実験からタンパク質の構造ダイナミクス情報を得るための多くの試みがなされてきた。特に結晶中における非平衡状態の構造解析を行うことを目的として,光や温度,圧力などの外的刺激を使って結晶全体または一部において非平衡状態を生成させた状態でのX線回折実験が、活発に行われている。 結晶中に非平衡状態を生成させる方法としては,低温条件下で非平衡状態を安定にトラップする方法(低温トラップ法),結晶中で反応させながら複数のデータセットを測定し,いくつかの反応進行状態を時系列に沿って構造解析を行う方法(分から時間オーダーの時間分解測定法),パルスX線とパルスレーザーを組み合わせたポンプ・プローブ法により,過渡的に生成した非平衡状態を短パルス高輝度光を使って測定する方法(時間分解ポンプ・プローブ法)などがこれまでに報告されている主なものである。本講演では比較的ゆっくりと変化する(または停止した)反応中間体を観測するための低温トラップ実験からピコ秒オーダーの高速なX線回折実験まで,さまざまな時間域と方法でタンパク質の非平衡状態の結晶構造解析を行った研究例について紹介する。
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セッション5.「分光で極める」
ディスカッションリーダー:松尾 由賀利(理研)
 分光学は物質の光に対する応答(吸収または放出)を周波数の軸に対して展開することにより物質の特性を引き出す学問であり、その歴史は古い。特に孤立原子分子系においては、原子や分子の光に対する共鳴線が本来持つ周波数軸上の幅が非常に狭く、線幅の狭い光源を用いれば精度の高い測定を行うことができる。このため単色性に優れたレーザーはその発明以来、分光学の精度を飛躍的に向上させることとなった。レーザー分光技術を用いれば、8-9桁の精度の測定を行うことはそれほど難しいことではなくなっている。レーザーが分光測定の精度を向上させ、ここから得られた知見がレーザーの性能を向上させ、さらに分光精度が向上する、というサイクルは今に続いている。最近では、水素原子の遷移周波数を14桁以上の絶対精度で測定することが可能になっており、水素と反水素の精密周波数測定や、永久双極子モーメントの探索を行うことでCPT対称性の破れを検証できる可能性が現実味を帯びてきた。微細構造定数など基礎物理定数の経時変化を測定することも手の届く範囲になってきている。また、原子の超微細構造の精密測定により、原子核の基本的な物理量である核スピンや原子核の電磁モーメント、原子核の形状、電子密度などを求めることができる。究極の分光技術は素粒子・原子核を始めとする物質の基本や宇宙の根元に迫る有力なツールであると言える。

 精密原子分子分光が貢献できる学問分野は非常に多岐にわたり、このセッションで俯瞰し尽くすことは不可能であると言うべきであろうが、本セッションでは、赤外・遠赤外領域および可視領域のレーザー分光技術を駆使して、物質の根幹に迫る研究をされている研究者の方をお招きしてお話をうかがいたい。松島房和氏には、赤外・遠赤外レーザーを用いた精密分光についてご講演いただく予定である。この周波数領域では、分子の回転、振動遷移が対象となるが、これらを精密に測定することは宇宙の構成分子の生成メカニズムを解明することにつながるであろう。榎本勝成氏にはレーザー冷却された原子の光会合分光についてご講演いただく予定である。光会合分光技術は電子遷移においても非常に分解能の高い測定を行うことが可能で、例えば励起状態の寿命のような動的な物理量をも分光学的に精密に求めることのできる、高いポテンシャルを持つ手法である。

 既に確立したスタンダードな分野に見えるレーザー分光学だが、技術の発展、装置の性能の改良により、さらに新しい現象に切り込んでいくことが期待される。ディスカションリーダーらが取り組んでいる原子核構造研究へのレーザー分光の応用も併せて紹介し、今後も分光で極めることにより観測が可能になってくる現象、そのための必要な技術についてディスカションと展望を行いたい。
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講演1: 炭酸ガスレーザーを利用した赤外・遠赤外分光
  松島 房和(富山大)
 光源の小型化、固体素子化が進むなかで、大きな気体ガスレーザーは分光学の研究室からも次第に見掛けなくなってきた。しかし、そのような時代背景のなかでも、炭酸ガスレーザーはいまだに、波長9-11ミクロンの中赤外域において大きな出力と高い周波数安定度を持つ良質な光源として活用されている。この講演では、我々が行ってきた赤外域・遠赤外域の分光や分子内のダイナミックスの研究のうち、炭酸ガスレーザーの技術を縦糸にして関連した分光研究を取り上げてみる。具体的には、炭酸ガスレーザーの光をもとに波長変換の技術を適用して周波数可変な遠赤外光や中赤外光をつくり、高精度高分解能の分光へ応用する例、また、炭酸ガスレーザー光の強度を利用して同種の分子の中に存在する異なった核スピン異性体を区別・分離し異性体間の変換過程を調べる例について話す。

 炭酸ガスレーザーの発振線の周波数は悪くても2kHz程度の誤差で知られていて、レーザー線を発振の中心周波数にロックすることで、それ自身がいわば副次的な周波数標準の役割をしている。遠赤外域は分子分光のスペクトルの宝庫であるが、この領域の良質な光源を得るために近年研究が盛んになっている。2本の炭酸ガスレーザーの差周波をとると、強度は弱いものの周波数精度が9桁ほどの良質の遠赤外光が得られる。この光源を用いて、簡単な構造ながらこれまで精度の高い分光データの乏しかった基本的な分子・イオンについて、主として回転スペクトルの周波数測定を進めた[*1]。 精度の高い理論計算との比較検討が期待される分野である。

 炭酸ガスレーザーの発振線をマイクロ波周波数で変調すると、数ミリワットの出力を持つ周波数可変な赤外光が得られる。従来、使いにくい鉛塩半導体レーザーで調べられていた周波数領域で、理想的なコヒーレント光源による飽和分光が可能になり、ラムディップ観測による高分解能分光や、2重共鳴法による高感度な分光が可能になった[*2]。

 炭酸ガスレーザーの強度を利用して、同位体分離の手法で特定の核スピン異性体を分離する方法がある。これまで、核スピン異性体間の変換速度については実験的な研究が乏しく、極端に遅いものとして無視することが多かった。しかし、分子衝突に起因する異性体変換だけをとっても、この速度は必ずしも遅いものばかりではないことがわかってきた。特に、星間分子の観測において、異なる核スピン異性体の存在比は宇宙の物質進化の歴史を解明する大切な手がかりでもあり、異性体間の変換速度が無視できない量となれば、宇宙の物質進化の理論にもおおきな影響をあたえるであろう。講演では、われわれの最近の研究から、レーザーを用いた核スピン異性体の分離と変換速度の測定について紹介する[*3]。

*1 松島,小田島,常川,高木, 日本物理学会誌 vol.57, No.3, 180-187 (2002) *2 孫,森脇,常川,松島,高木, 分光研究 55, 3-9 (2006) *3 Z-D. Sun, K. Takagi, F. Matsushima, Science 310, 1938-1941 (2005)
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講演2: 冷却原子を用いた光会合分光
  榎本 勝成(京大)
 レーザー冷却に基づく原子の減速・捕捉は、マイクロケルビン以下の極低温の原子気体を実現可能にし、1995年には希薄原子気体のボーズ・アインシュタイン凝縮が実現された。このような極低温の原子気体は分光研究の面でも大いに利用され、原子時計や光会合(フォトアソシエーション)分光などに応用されている。

 光会合は衝突原子対の間に連続状態−束縛状態間の遷移を起こして2原子分子を生成する方法であり、レーザー冷却された原子を用いることで、その分子状態を高分解能で分光することができる。例えば1 μKの原子気体は解離状態でありながら、20 kHz程度の線幅しかない状態とみなすことができる。この光会合分光は通常の分子分光とは異なり、解離極限付近の分光に威力を発揮する。解離極限付近、つまり長核間距離の極限では、相互作用は原子間に働く最低次の相互作用(例えばS状態の原子同士ならファンデルワールス力による距離の-6乗の項が最低次)と、各原子が持つ微細構造結合、超微細構造結合だけで記述できるようになり、理論的取り扱いが容易である。これにより、例えばs波散乱長や励起状態の寿命などを高い精度で求めることができる。

 我々のグループでは冷却Yb原子の光会合研究を行っており、最近では異重項間遷移(1S0-3P1)を用いたサブMHzの高分解能分光研究を行っている。この異重項間遷移は解離極限からわずか数MHzにある振動準位まで分離することを可能にし、これまでに行われてきた双極子許容遷移の光会合実験よりもさらに解離極限に近い領域での物理を調べることができる。そのような領域では超微細構造結合さえも原子間相互作用に比べ十分大きいものとなり、新奇な分子状態が現れる。本講演ではYb原子の4種類の同位体を用いた光会合分光研究を紹介し、同位体間で見られた定性的な違いなどについて議論する。
 
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